※これから先は不合格だった人にはかなりきつい&厳しい内容になっているかもしれません。(悪口じゃないし、大事な話だよ)だから、気持ちが落ち着いたら目を通してほしいかな。
残念ながら不合格だった生徒って合格発表後2つに分かれるんだ。すぐに切り替えができる子といつまでも引きずる子。この違いって何だと思う?「自分の実力以上の高校をダメ元で受験したけどやっぱり駄目だった」みたいに最初から不合格になるかもしれないという覚悟があったから?
もちろんそれもあるんだけど、自分が見ていて一番感じる違いは「後悔の大小」だと思う。
すぐに切り替えができる子って「結果は不合格だったけど全力で頑張った結果だから悔いはない。また高校で頑張るよ」っていうスタンスなんだ。このタイプの子には特にアドバイスはない。「高校でも何事も全力で頑張れよ」と一言だけ。
逆に引きずってしまう子は「本気になればもっと出来た」「あの時〇〇しておけばよかった」っていうのを繰り返している。つまり「入試という人生最初の大イベントに全力でぶつからなかった事に対する後悔」だ。
心をさらに傷つけるようで悪いけど、後悔の分岐点に戻ってみるよ。「その時」自分は勉強することもしないことも「選ぶ」ことが出来た。自覚はないかもしれないけれど頭の中で「勉強する」と「勉強しない」を天秤にかけて「勉強しない」を「自分で」選んだんだ。
そもそも自分の行動に「何となく」というものはないんだ。自分でその行動を望み、選択している。何もせずにボーっとしてしている時も「ボーっとする」という行動を自分で選んでいる。
でも、思い出してみて。「勉強しない」を選んだ時(勉強しなかった時)に、「本当に勉強しなくていいのかな?」ってちょっと思ったりしなかった?
じゃあこの2択で自分はなぜ「勉強しない」を選んだのか?答えは簡単!「勉強しない」ほうが「楽」だから。でもこれは普通な事。誰だって「しんどい(勉強する)」と「楽(勉強しない)」だったら「楽」を選ぶわって話。
では「その時」どうして自分は「勉強する」を選べなかったのか?それは「勉強する」の先にあるゴールがぼやけてよく見えていなかったからだと思うよ。例えばグラウンドを走っていて「あと2周(でゴール)」って言われたら、よしって頑張れるけど「(ゴールは)そのうちな」なんて言われたら(あと2周?10周?50周?100周?)ってなって走る気なくすでしょ?それと同じ!「将来〇〇になりたい!」「〇〇高校でこんなことがしたい!」みたいな明確なビジョン(ゴール)がないとなかなか「しんどい(勉強する)」を選べないんじゃない?
フィギュアスケートの羽生選手も「平昌オリンピックで金メダルをとる!」という明確なビジョン(ゴール)があったからこそみんなが見ていないところで、ものすごい練習を続けてこられたんだと思う。絶対に「休みたい」「楽したい」って思うこともあったと思うよ。だから金メダルを取った今、すぐに「4年後の北京オリンピックで3連覇します」って言わないのは足のケガももちろんあるだろうけど、今現在は4年後のビジョン(ゴール)がまだはっきりと見えていないからだと思う。
まわりの大人は「気にするな」とか「人生終わったわけじゃないんだから」みたいな言い方をするけど、それは高校入試の後にもいろいろな壁にぶつかって跳ね返されたり乗り越えたりしてきたという「経験」があるから。大人になった「先生」からしたら高校入試なんてちょっとした分岐点でしかないしこれからいくらでも挽回できるじゃんって思うし、人生の先輩方からしたら32歳の「先生」(ど~も、32歳です)なんて「まだ生まれてちょっと経ったくらいじゃん。この若造が!」って思われてるかもしれない。(笑)でも、君たちにとっては今まで生きてきた15年間が人生の全てであって高校に不合格だった今が人生のどん底に感じるのはよくわかる。
時間は戻らないし止まりもしない。だから少し立ち止まって心の整理をしたらまた前を向いて進んでいこう。で、この春休みには是非いろんな事を経験してほしい。そして将来やりたい事、趣味など(ゴール・ビジョン)が見つけられたらいいね。それが早く見つけられるほどそのゴールから逆算して「将来の自分のために今の自分が頑張るべき事」が見えてくる。「今の自分が頑張るべき事」が解っていれば今度こそ「2択」を間違えないんじゃないか?そして「今の自分が頑張るべき事」は公立高校だと出来て私立高校だと出来ない、なんてことは絶対にない!全ては自分の気持ち次第なんだから。。。
そして間違いのないことがもう一つ「これから先、必ず新しい壁にぶつかること」。その時は今回の経験を糧に是非自分が正しいと思う「選択」をして次こそは自分の望み通りになるといいね。