さて、中間テストも終わり一段落ってところだけど・・・。
ちゃんと「勉強」してテストに臨めたかな?
「せんせ~。テスト勉強はしたけどテストが難しすぎ!あんなの無理っす。解けるやつ天才ちゃう?」
「まあ、平均点も下がりそうだし自分の点数が下がるのも仕方ないよね?」
いや、テストが難しいのはわかるけど、だからって仕方なくはないだろ!ちゃんと復習しときなさい。
で、本題。
「先生には通用しないもの」って…。それは「自分が本当の意味で勉強できているかどうか」だ。
いくら自分たちが「頑張って勉強しました!」って言っても、先生は「確かに勉強の成果が出てるな」とか「いや、全然やん。口だけか?」とか簡単に判断できてしまう。なぜかって?
「テストの点数は正直である。ごまかせない」これに尽きる。
「いや、今回は凡ミスが多くって。本来ならもっと点数取れてたって!」
その凡ミスにテスト中に気付けないのも含めて今の実力なんだよ。しかも先生はそれが本当に凡ミスなのか、勉強不足なだけなのかもだいたい見抜いていると思っていい。
いいか?「テストの点数は正直」なんだって。同じ点数だったとしても、「どの問題で得点したのか・どの問題で間違えたのか」を見ればわかってしまう。というのも先生は問題を作るときにすべての問題に「難易度づけ」をしている。そして、平均点がどれくらいになりそうかもあらかじめ予想しているし、「前回は平均点高かったし、今回はちょっと難しめにしよっ」みたいにテスト全体の難易度さえもコントロールしている。
だから例えば…
「Aさんは標準問題や難しい問題もそこそこ解けているけど、簡単な問題で点数が取れていないな。今回は不発だったかな?まっ、この調子で頑張れば次はもうちょっと点数取れるんじゃないかな」
「Bさんは簡単な問題はしっかり点数取れているけど、標準問題や難しい問題は全然だな。今までと比べても実力通りといえばそうだけど、点数を上げるためにはより難しい問題を普段から解かないと厳しいな」
「Cさんは標準問題や難しい問題は手付かず。簡単な問題でも凡ミスの嵐。ちゃんと勉強してるのか?こりゃ提出物のワークは模範解答写しただけだな」
「Dさんは前回より簡単な問題でのミスが減っているし、難しい問題も少し解けるようになってきたな。点数の伸びとしてはちょっとだけど自分なりの勉強法がつかめてきたかな。次も楽しみだ」
みたいに分析している。
先生は普段のみんなの勉強がどんなものかは知らない。監視カメラやSkypeで繋がっているわけでもないしね。ただ、テストを見ればそれが「勉強」なのか「作業」なのか「何もしていない」なのかはすぐにわかる。だから先生は言う。
「勉強しなさい」
この言葉には「どうやって」が抜けている。なぜなら自分に合う「勉強法」は人それぞれだからだ。そもそも先生は「どんな勉強をしているか」には興味がない。見ているのは「成果・結果」だけだ。だから先生の言葉は
「自分に合った勉強法で『勉強しなさい』。決して勉強が作業にならないように」って事だな。
自分の勉強法、大丈夫か?